祖母ちゃんたちの太平洋戦争

欲しがりません勝つまではと自粛要請をいたします

 昨今はコロナ禍のもと我がニッポン国はあちらもこちらも自粛一辺倒なのである。おまけに自粛警察などというのが現れ、あそこの店が自粛要請に反して営業しているから取り締まれと市役所に電話したり、自粛要請を守れという自作の張り紙を張って言っているらしいではないか。やっている本人は正義を断行しているつもりになって非常に気分がいいのだろう。この老人、老人ではあるが戦前に生を受けたものではないのでその時代の雰囲気を知らないわけだが、こうなれば例の悪名高き自警団ということになるのだろうなあ。単純な小生などは一億総ざんげとかであの時代はすべてダメとぺけ印が付いたことですべてご破算になったと思っていたのだがそうではなかったのだ。あの時代のすべてが悪かったわけではない、いいものはいつの時代でもいいものなのだ、万世一系天皇のもとにある我々日本人は西洋人のように強制されなければできない国民ではなく、政府に言われなくとも自ら進んで自粛ができる誇りある民族なのだ、というわけけで自粛をするのにも威勢がいいのである。それでふと戦争中はどうだったのかという普通の人間なら当然のごとく浮かぶ好奇心が芽生えたわけだ。普通の人間はそこまで暇ではないという意見もあるにはあるが、それには取り合わずに話を先に進めよう。好奇心が芽生えた場合はどうするか?立派な大人ならまずは文献を調べてからということになるのだろうが、それだけの能力がないので小生の体験を紹介することにする。それならいまはやりのSNSというものと原理は同じになってくるので信憑性は全くないというところにこの考察の不備と考察者のいい加減な感じが現れておるわけだが、それも考慮に入れずに先に進んでしまおうっと。

 小生は何度も書くように四国の山間地の吉野川に沿って小さな平地があるところに何人か集まって集落ができ、それが大きくなって町になったようなところに生まれた。そこは東の方向に向かって町を出れば左には川が右には山が迫っていて、その10キロほど先が同じような隣町(西に向かえば川と山がその逆になるだけ)というというようなところだ。その町で商売をしている家で育った(その日暮らしのという形容詞が抜けていた)。商売というものは、仕入れたものにいくばくかの利をかけて売りさばき、その利によって商人は生活を送るという形をとるものだとすれば、ものを買いに来るなどは、例えば靴の例を取れば(靴屋だったもので)親指の先に穴が開いて親指が見えているだけでは買い替える気にはならず、かかとにも大きく穴が開いているのがはたからでも見て分からなければ、靴を買おうという気にはならないので店には来てくれないのである。また店までは歩いていくわけだから時間もかかる。そこで店に来てもらえないならば売りに歩けばいいではないかということで家中で一番ひまに見えた祖母ちゃんが自主的に売りに歩くことにした。売れるものならなんでも風呂敷に包みそれを背中に負ぶって。ほかにもう一人邪魔なものがいたのでそやつも一緒に連れていくことになった。小生である。弟と違ってよほど手がかかったのだろう。山の中腹に点在している家々を休み休み回っていくのだが、こんなところまでよくきてくれたということでお茶を飲め、昼時にはご飯を食べろとかでまあ時間がかかることこの上ない。物を売りに行っているのか暇つぶしの雑談をして歩いているのか、効率のよさこそ生きる上での最大の基準と考える小生などは(その割にはなんと長い回り道だったことよ)、祖母ちゃんの話が終わるまで待つのがなんと苦痛だったものか。おかげで後年待つのが大嫌いになった。それはこんな具合で後年現れるのだった。やっとの思いで一緒になれた嫁の付き添いで病院で待っていた時、いつまで待たせるのだと頭にカーと血が上ったら最後止めることができずに「こらー!いつまで待たせとるんじゃ!」と怒鳴りこみ「この次ですよ」としれーと言われたのがまた癪に障り、「こんな病院で診てもらわなくてもいい」と席を立って出てしまい次の病院で2時間待つというようなことが何度あっただろうか?それ以後嫁は老妻となる今日まで小生とは絶対に行動を共にはしないのである。

 それはさておき「営業力の基本は雑談なり」ということで、訪ねた先では天気の話からはいり、たばこの作付け、かいこのできなど山の農家の話題に合うような話から、都会に出稼ぎに行っているとおちゃんのことに話が及ぶまでには30分はかかっていただろう。たった30分くらいと思うなかれ。その時その瞬間だけを生きる子供にとって全く興味のない話をしている大人の側での30分がどれほど長かったことか。そして最後はお決まりのように戦争中の話になり、その思い出話が10分ほど続いた後「やっとどんなものを持ってきたのか?」と聞かれ、やおら商品を風呂敷から出すという段取りになっているのである。ことがここまで運べば、山の農家のおばさんたちなど老練な商売人の祖母の敵ではない。子供から父ちゃんのものまで買わされたあげく、またお茶でも飲みに寄れと言って野菜などのお土産までもらって送り出されるのであった。あっそうそう、小生も商売のねたの一部を構成しておったわけであります。「こんなところまで小さな子供を連れてよく来てくれた」と。話が脱線しましたな。

 肝心なのはこれからなのですわ。最後に戦争中の話になると申しましたが、その話はこうなのです。先の戦争はアメリカとの戦争だったと我々は思い込んでいるわけです。もちろん中国との戦争も続いていたわけです。あの当時でもアメリアと戦争してアメリカに負けたという話にはなるのですが、中国に負けたとは誰も言わないわけです。言わないのは思っていないからでしょう。敗戦から10数年くらいしかたっていないのにそのことは忘れてしまっていたのかもしれません。まあそれはそれとして、まとめますと次のような話になるわけです。つまり、今考えればあんな大きな国と喧嘩したって勝てるわけがない。むこうは原爆でこっちは竹やりで、勝てないのは私らのようなあほでもわかる。ではどうして戦争したのだろう。われわれ国民は軍隊(なぜか軍隊と言ってたな)に騙されていたのだ。勝ってもいないのに勝った勝ったと大本営発表とやられたら誰も信用せえへんもんはおらん。「われわれはみんな軍隊にだまされとったんじゃ。終わってみんとわからんことじゃったんじゃけんどな」「天皇陛下もほんまは戦争しとうなかった(したくなかった)けんど、軍隊にだまされていやといえなんだんじゃ(いやといえなかった)。天皇陛下もかわいそうじゃな。」と、国民も天皇陛下もみんなして軍隊にだまされていた哀れな人間という結末に至って初めて商談(雑談か)は終わりを迎えるのでした。戦争中であればわが祖母ちゃんなどは間違いなく憲兵隊に検挙されていたところでしょう。だって神様である天皇陛下が配下の軍などにだまされるわけがないのですから。小生などは後年になってからこの話を思い出すたびに(なにせ耳にたこができるくらい同じような会話を聞かされているのですから)「うむっ」となるのです。ちょっと待てよこの話ではだれも責任がないのか。極東裁判で戦犯として処刑された人達だけが悪かったのか?そのあとではその人たちも(全員なのかどうかは知らないが)靖国神社に合祀されたのでなかったか?靖国神社というのはたしか国のために戦って亡くなった方たちを弔っている神社だったな。以前の総理大臣が毎年参拝していたことがあったな。今の総理大臣も本当は毎年行きたいのにどこかの国に忖度して一度だけでやめているのか?しかし忖度なんて誰が言い出したのだ?こんな便利な言葉があるから「日本人の最大の長所は人を忖度するところだ」などと言い出すやつまで現れるのではないか?でもそんなことだれがいってるのだ?まあ一度だけでも記録には残るだろうから行ったことになるからいいかってか?もしかすればその記録は破棄されてるかもしれないぞ?どっちにしても国のえらいさんたちがこぞってお参りしたがる神社には違いない。まあそんな神社に祀られるわけだからそのひとたちも立派な人たちに違いない。そうすると立派な人を処刑した連合国がわるいのだな。その連合国の親玉はアメリカなのだからアメリカはやはり我々の敵なのだな。とはならないのがこの国なのだな。もとい、話がどこまでもそれていくのでこのあたりで元に戻らなければ、延々と続くことになりそうだ。

 一億玉砕だとか欲しがりません勝つまではと言ってると、一億玉砕なのにあいつは玉砕していないとか勝ってもないのにあいつは欲しがっているというやつが出てきてもおかしいくはない。また勝った勝ったといっているけどほんとは負けているのだと大本営発表のたびに思うよりは、発表のとおり勝っていると思い込ませた方が自分にとって生きやすいだろう。「そんなことはないはずだ」などと隣組の怖いおばさんの前でついつい言ってしまうこともないだろう。「つい、言い間違えました」などともいわなくても済むし。そうこうしているうちに欲しがりませんと言ってるのにあれもこれも欲しいと思っている自分はおかしいのではなかろうかとか上司に父親が危篤なので早引きさせてほしいと伝えたとき上司が「うーん」というので「わかりました今日の仕事を終わらせてから帰ります」とのことで病院に駆け込んだ時にはもう遅かった。そのうわさを聞き付けた上司は「おれはだめだとは一言も言ってない」というようなことがあっちでもこっちでもおきてくるしで、もうてんやわんや。ちなみに戦争中の話ではこんな面白いことも聞いた。上官の命令は絶対だと言われている軍隊でも、その上官に大した意味もなく殴られたのに恨みを抱いて(当時は法事などの集まりの場では男どもは兵隊に行っていたときの話ばかりだった)、殴られた後その上官の背後から耳元でこそっと後ろに目はないからなとつぶやくとその上官の怖がりようはなかったと大笑いしながら話していた。こいつは大して度胸がないので脅すと震えあがるやつだと見透かされているのだ。これ以後殴られなくなったことはいうまでもない。軍隊の上下関係など屁でもないという人も沢山いるのである。またぞろ話は飛んでしまった。

 ここに一人の神様がいるとする。いや神様だから一人とはいわないか。では神さんのことは何と呼ぶのだ。まあいい、ここに神様がいる。神様なのだから責任は神様がとるに決まっている。みんな当然のこととしてそう思っている。でも神様って本当に責任がとれるのか?このコロナが収束したとしてそれが神様のおかげだとするとこの騒ぎを起こしたのも神様なのか?そうすると神様は自分のいたずらの後始末を自分でしただけということにならないか?自分でやったことは自分で責任を取ってくださいか、そうすると責任を取ったことになるな。ただこれが世界中の何十万人、何百万人にも影響を及ぼす行為であった場合、神様は自分で責任を取ったからこれで帳消しというわけにはいかないだろう。では神さんに責任を取って辞任してください、といって辞任できるようならこれも神様とは言わないだろう。神様は人間ごときにたいして責任を取るべきものではおわせられないゆえに神様なのであるからして~。ということは神様に責任を取らせたらいけないのか?こうしろ、ああしろとはいわないのがやはり神様の鉄則だとすると(そんな神様はうるさくてしようがない)、下賤な人間どもが意を組むしかないのか?ということでいつの時代のどの個所を切り取っても同じ模様がみられる金太郎飴国ができあがったのでありました。