古い人間だとお思いでしょうが

ウサギ追いしかの山

 志を果たしていつの日にか帰らんとばかりに故郷を飛び出してもうはや四十有余年、かつての夢やはたしていずこに?というわけで、当然ながらこの老人の夢はやぶれ去り、故郷を離れることはるか数百キロのこの地で毎日をこの老残の身をさらして生き長らえておるわけである。

 ところで、わが貧困なる精神は貧弱なる肉体にやどり、貧弱なる肉体は瀕死の家計によるとうわけで、小生も最近のことは全く覚えることができないが昔のことは自分の都合の良いように覚えている年寄りの例にもれず、昔のことがしばしば懐かしくなるわけである。

 さて、1950年代、小生は54年に生まれたわけだが、前半の生活はといえば、移動手段は自転車か歩き、ご飯はかまで炊き、テレビも洗濯機も冷蔵庫もまだ一般には普及していない、学校給食はまだなく、夏は川で泳いでいた。というところがこの国の一般的な田舎の生活風景だったといってもよいのではありませんかね。小生なんかはこういった生活こそが本来の人間生活の基本ととらえておる傾向が大いにあるのでいささかこの時代をノスタルジックにとらえすぎておるきらいが大いにあると思うが、いちどこの時代に戻ってみてもいいかもしれないと思う今日この頃ではある。そうなれば必ずいてもらわなければならないのが母親だけど。こんな時代に生きていくためには父親はいらないが母親は絶対欠かせないものである。電気製品がないのだから当然電機は使わない。そうすると原発はいらない。プラスティックもあまり使わないので石油もそれほど使わない、大規模開発もないので郷土は傷まない、住宅は近所の山からとれた木材を使い、伐採した後はまた植えておく、というようなことを繰り返していれば今のような灼熱の太陽のもと体育館に避難を繰り返すようなことも少ないだろう。というわけで小生は声高に主張することにする。50年代前半の生活水準までさかのぼろう!と。この意見には保守も革新も、右も左も、上も下もないのである。車がなければどこまでも歩くのか?そうなるとおまえの膝はそれに耐えられるのか?とか冷蔵庫がなければ食べ物が腐ってしまわないのか?とかいうことは、この際わきに置いといて、ひとまず合意ができたところから。何も合意はできておらないので困っているわけだが。