パソコン乗っ取り

不登園、不登校

 とうとうパソコンを乗っ取られてしまった。そういっても例のハッカーとか炎上とかいうやつではない。この老人には不肖の娘がいるのだが、その娘の娘ということになるので老人からすると不肖の孫ということになる。この田舎では保育園も総理の宣言の元一斉に自粛しますから休園にしますとはならないで、登園を控えられる人はできるだけ控えてくださいというゆるいお達しだったものなので、わが不肖の娘の選択肢は当然のごとく登園するということに相成ったわけである。しかしながらこういうご時世故、ソウリ(ぞうりではない)がそうおっしゃっておられるからには少々無理をしてでも休ませなければいけないと思う人や、自分の子供にウイルスでもうつってもらっては大変と思う親で、都会の人には信じられないだろうが、孫の年長組なぞは数人しかいないらしいのだが、5月はそのクラスはほとんど一人だったというではないか。聞いてみると下の子と遊んでいたという。ちなみに小学校の兄もどうしても家でにいられない子は午前中は学校で自習、午後からは学童で面倒を見るとのことになったので兄も当然のようにそのようなありがたい処遇に預かることとなったわけだが、午前中は多くて数人、恥ずかしそうに「皆勤賞はおれだけだった」というではないか。なんとも頼もしい孫ではある。ところが下の子がとうとうストライキを起こしてしまった。その手口はこうだ。子供だと侮っておるとえらい目に合うのだが。まず日曜日の午後、母親に「ばあばのところへ行きたいから連れて行け」と頼み、兄と一緒にやってくる(どうでもいいが、他にも孫がいるけど、みんなばあばのうちである。じーじではない。女は偉大である)。母親は当然のごとく「今日ここで晩御飯食べていこうかな」となる(「いってもいい?」ではない。ばあばはいつも小間使いなのだ)。当然ながら母親(わが不肖の娘)の傾向をその娘である孫は完ぺきに読んでいる。風呂に入りご飯を食べてさあ帰るというときになると「なになにちゃんうちに帰らない、ばーばの家で泊まるから兄ちゃんだけ帰れ」という。母親の剣幕を見ているので兄は僕も泊まりたいとは言いだしにくいので哀れ兄は一人で母親と一緒に帰る羽目になり、夜9時に無理やり就寝ということになる。ここまではよくあるパターンでもあり、いちどいいだすと絶対に譲らないこともわかっておるので、無理に帰らせようとはせず「明日保育園だから、着替えを取りに一緒にいってこよう」と話を向けてもその話には乗ってこず(一度帰ってしまうとまだまだ母親の方が力関係は上なのだ、それで明日から保育園に行かされる羽目になることを見抜いておるので)、じーじ一人で行ってこいというので、人使いの荒い孫だとは思いながらもしぶしぶ5歳の孫のパシリとなるのである。そして翌朝、保育園には行かない。うちにも帰らないとなったのである。そうなれば最後、もう王女様なのである。やい自転車で遊ぶだの、絵本を買いに行くだの、好きなアイスがないから買ってこいだの、わがままし放題、言い放題。こちらの堪忍袋の緒が切れる直前にぱっと態度を変える変わり身の早さ、この技をどこで身につけてくるのか?そんなわけで月曜日から登園拒否をしておるわけです。ちなみに不登校という言葉はあっても不登園という言葉は聞かないな。不登校とは学校に行ってない状態を指すのであって病気などではないなどと言われておったのだったっけ?そうだとすると、そこには本人の意思がまったくないではないか。学校には行かない、行きたくないという気持ちがあるから学校に行ってない状態が生まれるのではないのか?本人の学校に行かないという明確な意思があるからして学校に行ってないという状態も生まれるのだろう。そうだとすればそれは明らかに拒否をしているわけだ。「わたくしなにがしは本日より学校に行けなくなりました、よって以後何があっても登校いたしません」と泣きわめき、玄関の柱にしがみつきながら宣言しているわけだから拒否そのものではないか?学校に行っていないという状態をさすだとか、だれでも起こりうるだのとわかったようなことをいっておるが、ではどうして学校に行かないのかを本気になって聞こうとはしない。学校とはこんなところでいやだからと言ってもそう簡単に変えることはできないということになっておる。子供はそれに気づいておるのでそんなことはいっても時間の無駄だということでひたすら貝となるのだろう。病気ではなく、だれでもなるというのなら、どうして学校以外の選択肢を増やそうとしないのだろう。学校に行かない生徒の選択肢が増えたら、一般的日本国民としての質が落ちてしまうとでも考えておるのだろうか。と、話はそれまくったが、やれクレヨンしんちゃんだの、やれドラえもんにしろなどとパソコンが乗っ取られておるわけである。挙句の果てに疲れ果てた老妻は、まったく役に立たないじじいという言葉を残して自分の部屋で寝込んでしまっておるわけなのである。

カウンセリングあるいはミュージックレッスンそしてお金

カウンセリングとミュージックレッスン

 この老人もすでによわい65を超えておるので身体中のあちこちが痛いわけである。寝る前や起きた後は特に肩のあたりや首回りがちくちく針が刺さったように痛いので老人になれば誰もおなじなのかと思い、わが老妻に聞いてみたところ腰が痛くなったりすることはあってもチクチクはしない、まあ今までの行状のせいではないかというので、それもそうだと思い長い間ほおっておったのじゃが、とうとう我慢ならないところまで進行してしまったので鍼灸治療でも受けようと思い立ちホームページを探してみた。田舎のことであるから数は数えるほどしかないのじゃが、適当にアクセスしてみるとなんと一回8000円とか9000円とかしておるわけじゃ。それで驚いたわけじゃが、小生生まれながらのまじめな性格と見えて、そこでちっと立ち止まって考えたわけなのである。小生の生業といえばカウンセラーということになるわけだが、カウンセリングだけでたとえほそぼそとでも食べていこうと思えば、当然料金を設定しなければならない。ではいくらくらいに設定すればいいのか?どこの馬の骨ともわからないものにだれがカウンセリングなど受けるのかという疑問はとりあえず脇に置いておくことにしても、高ければ来てもらえないくらいのことは小生でも分かっておる。では安ければ来てもらえるのか?バナナのたたき売りのように最初は高く設定して、来てもらえなければだんだんと値段を下げていくか?値段よりなによりカウンセリングってホントのところ効果はあるのか?誰だったか偉い先生がクライエントの7割だったか8割だったかは、カウンセリングの力ではなく自分の力で治っていった、つまりなになに療法の力で回復してのとは違うという研究がアメリカであるといってたな。来談者中心療法とか認知行動療法で私はこのように立ち直りましたというものではない、などと考えておるうちに面倒くさくなり、スクールカウンセラーでもやっておると一定の収入は入ってくるのでそれでいいかとなってくるわけだ。でもしかSCというわけだ。これでカウンセリング業界も敵に回したな。値段の話はまだ続くが、安くなければ来てもらえないとして50分1000円ではどうだ。それだともし一日に5人きてくれても一か月休みなく働いたとしても月15万円にしかならない。プロ中のプロというカウンセラーも中にはいるだろう。まあその場合は50分うん万円などという人もいるだろう。それに比べると音楽家のレッスンなどは全く割が合わないのではないのか?特にマイナーな楽器、クロマティックハーモニカなどはその最たるものだが、大体の相場が50分6000円前後のようだが、これでは全く合わないのである。だって人を教えるレベルになるまでにはどれだけの時間とお金を使ったことだろう。カウンセラーと比較すると明らかだが、カウンセラーになるための資格はいらないが、臨床心理士くらいは持っておきたいと思って大学院に行ったとする。そこの授業料が年間100万円なら2年で200万円、まあもろもろで400万円くらいかかったとしてもそれだけの話である。そこでやることといえばカウンセリングはこうしてやるのですと手取り足取り教えてくれるわけではない。そうなればなったでうるさいだけだ。カウンセリングなど教えられるものではないのだ。と河合大先生もいわれておる(それなら大学など作らなければいいのにというような意見もあるわけだが)。資格を取ってしまえばはいさようなら。自分がどんなカウンセリングをやっているなどということは相手以外はだれも知らないのだ。プロの音楽家はそういうわけにはいかない。ベートーベンに資格などはないのである。というわけで音楽家は偉いなあということを言いたかったのである。いまライブハウスがしまっていて大変な苦労をされておられると思うが、どうか心を折らないでいてくれることを祈るばかりじゃ。

特別低額給付金

いつ届く申請書?

 この老人のコンピューターは主人の懐具合まで把握していると見えて、定額と打てば低額と最初に出たのをそのとおりなのでそのままにしておくことに相成った。それはそれとして小生の住んでいる田舎の市には未だに申請書すら届いてはおらぬ。人づきあいがないゆえ、いや正確には隣近所の80を超えたばあさん達と朝ゴミ出しの時に寒いだの、暑いだの、ちょっとはましになっただのの言葉を交わすことはあるが、それを人々は人づきあいと定義されるのであろうか。「ところで政府から支給されるていう特別なんとかというやつはあんたとこにきたけ?」(こちらでは疑問文のあとには「け?」をつけることになっているのだが、小生には「け」といえばあっちのけが想像されて何百万回聞かせれてもいまだになじまないで困っておるのだが、今はそんなことを言っている場合ではない)とでも聞こうものなら、「それってなにけ?」「どうやれば入ってくるけ?」「あんた頼むから市役所に行ってきてもらえんけ?」と「け」責めにされるだろうことが想像されるので、こういったことは自分からは聞かないのを常態にしておるわけなのであるが。この2か月間学校が休みだったものでSCとしての収入が途絶えてしまっておるのでここ最近は青息吐息の状態であるゆえ、心待ちに待っておるのだが未だにその申請書すら届かないのである。どうなっておるのやら。

 と、嘆いてばかりでもなんなので、小生れっきとした行政書士会に加入しておる現役の行政書士でもあるからして(ただこの方面からの収入は近年めっきり減ってしまったが)、専門的な観点から給付金が遅れておる理由を考えていこうかとも思ったのじゃが、早く受け取ればいいだけのお金の遅れている理由を考察して、それがもし今の我が国の克服すべき問題のなかのひとつ(まあ言ってみれば小生の大発見ということになろうが)だったとしてだれが喜ぶか?。それはそうとして、話を進めてしまおう。

 さて行政書士と申しますれば、ご存じの通り(いやほとんど誰も知らないのであるが)、官公庁に提出する書類をお客さんに代わって書いてあげてその代金をいただくというのが主たる業務となっておるわけである。官公庁といううとすべてのお役所と思われそうだが、そうではありゃせんのであって、たとえば税務署類は税理士、登記所は司法書士というように、まあ言ってみれば縄張りが決まっておるのである。ところが弁護士だけはその資格を持っておれば行政機関に届け出るだけでそれらの資格で可能となる業務をみずからが行うことができるということになっておる。いってみれば弁護士は法律の資格の総元締めというわけじゃな。それはそうとして今は行政書士のはなしなのであるが、書類作成が業務ということで、小生もこれが主たる業務であったときは年間数十件くらいは書類を書き、その提出を代理したものじゃ。ただそうは言ってもその書類は難しいものではない、ただ一般の人にはなじみがない言葉で解説されておるので一見したところで面倒臭くなってやる気がそがれるので、それで少々お金がかかっても他人に頼んでしまえと思って、小生どもに依頼があるのである。

 皆様におかれましては、昨今のインターネットばやりの時代だから、行政などはさぞかし電子申請がすすんでいることだろうとご想像に及ばれるところでしょう。ところがであります、小生が今までに最も手掛けてまいりました建設業許可申請といいまして、一定の建設業を行おうとすると県知事に許可を申請しなければいけないことになっておるのですが、それが20年位前には3年に一度、その後は5年に一度更新しなければならないことになっております。その申請書類が20枚くらい、添付書類をいれれば全部で30枚くらいになるわけです。担当者は一度ざっと目を通すとほとんど見もしないものをです。どうしてそう言えるのかといえば、窓口の点検で間違いが見つかった場合は「ここ違ってます」となるわけですが、いったん点検が終わってしまって受理されてしまえば、役所から訂正の連絡がきたことが1~2回あった程度ですから。内情をぶちまけるようで業界からはブーイングの嵐が巻き起こりそうですが、5年後の更新の時もほぼ同じことを書く(といってもワードやエクセルに落とし込むのですが)わけですから、5年後に間違っていたことが分かるのですが、まあそのままです。そういうわけですから、書類は山のように積もるわけです。建設業関係の書類だけでもなになに課の一部屋くらいの広さの部屋を閲覧室として用意しているわけです。当然建設業だけではありませんので、役所全体では書類の保管にどれだけのスペースを割いているのか想像もできないくらいです。ですからこれはありません、あれは廃棄しましたといって1~2年の間に書類を次から次に廃棄し、データまでも取り出して壊してしまう財務省は、お役所の中のお役所と言われておるらしいですが、やっぱり行革って言いましたか?まあ時代の先端を行っているわけではありますしょうが。小生などはどうせパソコンで入れておるわけですから、フロッピーのやり取りに変えるだけでも場所を取らなくていいと思うのですが、そうは問屋が卸さないわけです。やっぱり偉そうにしたいのではありませんかね。ここはああではなくこうだ、ここを直してこい、この書類が足りないなどと言いながら心の中で上司にはする勇気がないのでせめて一般庶民を相手にうっぷんをはらすことがなくなればモチベーションが保てなくなるのではないでしょうか?来る日も来る日も同じ書類を見るわけですから。まあ捨てる場合だってそうですわな、これもあれもろくでもない書類ばかりだと思ってしまえば、破り捨てようが焼いてしまおうが、ハンマーでたたき壊してしまおうが、例の断捨離ではありませんが、あとはかえってすっきりするのではありますまいか?

 というわけで、持続化給付金も雇用調整助成金も一見すると非常にややこしくみえますが、そう見えるだけですから諦めないでくださいね。くれぐれも申請が面倒だから商売自体を廃業するかなどとは考えないでくださいね。自分なりにこれでいいと思った時点で持っていきましょうよ。足りない書類や訂正箇所はその時に教えてもらいましょう。あとがつかえているなどと言われてわからないままに引き下がったりしないようにしてくださいよ。広く窓口を設置しなければいけないのは役所ですから。わからない皆さんに落ち度があるわけでは決してないですから。

 

古い人間だとお思いでしょうが

ウサギ追いしかの山

 志を果たしていつの日にか帰らんとばかりに故郷を飛び出してもうはや四十有余年、かつての夢やはたしていずこに?というわけで、当然ながらこの老人の夢はやぶれ去り、故郷を離れることはるか数百キロのこの地で毎日をこの老残の身をさらして生き長らえておるわけである。

 ところで、わが貧困なる精神は貧弱なる肉体にやどり、貧弱なる肉体は瀕死の家計によるとうわけで、小生も最近のことは全く覚えることができないが昔のことは自分の都合の良いように覚えている年寄りの例にもれず、昔のことがしばしば懐かしくなるわけである。

 さて、1950年代、小生は54年に生まれたわけだが、前半の生活はといえば、移動手段は自転車か歩き、ご飯はかまで炊き、テレビも洗濯機も冷蔵庫もまだ一般には普及していない、学校給食はまだなく、夏は川で泳いでいた。というところがこの国の一般的な田舎の生活風景だったといってもよいのではありませんかね。小生なんかはこういった生活こそが本来の人間生活の基本ととらえておる傾向が大いにあるのでいささかこの時代をノスタルジックにとらえすぎておるきらいが大いにあると思うが、いちどこの時代に戻ってみてもいいかもしれないと思う今日この頃ではある。そうなれば必ずいてもらわなければならないのが母親だけど。こんな時代に生きていくためには父親はいらないが母親は絶対欠かせないものである。電気製品がないのだから当然電機は使わない。そうすると原発はいらない。プラスティックもあまり使わないので石油もそれほど使わない、大規模開発もないので郷土は傷まない、住宅は近所の山からとれた木材を使い、伐採した後はまた植えておく、というようなことを繰り返していれば今のような灼熱の太陽のもと体育館に避難を繰り返すようなことも少ないだろう。というわけで小生は声高に主張することにする。50年代前半の生活水準までさかのぼろう!と。この意見には保守も革新も、右も左も、上も下もないのである。車がなければどこまでも歩くのか?そうなるとおまえの膝はそれに耐えられるのか?とか冷蔵庫がなければ食べ物が腐ってしまわないのか?とかいうことは、この際わきに置いといて、ひとまず合意ができたところから。何も合意はできておらないので困っているわけだが。

見て見て!と今だけ主義

幼児性の研究

 この老人の住処には今コロナ禍のために保育所に行けないでおる2人の孫を毎日預かっておるわけであるので、ただぼけーっと過ごすのも何なので少し観察してやろうと思って見ておると面白いことに気が付いた。まあフロイト大先生のエルンスト坊やの糸車(だったかな?)に習ったというわけなのだが。

 さてどのような世紀の発見だったのか。子供というものは兄弟で遊んでおってもまあ長くて10分くらいしか遊べないようにできているようだな。すぐけんかになったりどちらかが触ったとかおもちゃを取ったとかで、大体は下の方がまだことばもはっきりしないくせに何ちゃんがなになにしたといって泣きわめく。そうすると大人はうるさいものだから(大抵は下の方がうるさいようだ)、お兄ちゃんがおもちゃを貸してあげないせいで下が泣いているのだと思い込み、それよりなによりもなにか言わないと下がうるさくて仕方がないので、大体はお兄ちゃんに「思いますおもちゃを独り占めにしないでなになにちゃんにも貸してて、一緒になかよくあそんでね」などと言ってとりあえずその場をおさめようとする。大体の場合は兄が悪者なのだが、よく観察すると少なくとも半分くらいは弟がちょっかいを出して兄に小突かれたりして、最後に弟が泣き出すというパターンなのでいつも兄がわるいわけではない。兄はかわいそうなのである。発見というのは、このことではない。こんなことはこの老人から指摘されなくても賢明なるお母さん方はだれしも気が付いておるわけだ。そんな孫たちでも大人がそばにいればある程度の時間は遊ぶことができるようである。ただこれも信頼できる大人がそばいいることが肝心なのだが。小生のようなただいるだけ、騒ぎ出すとうるさいというだけの老人がついておってもなんにも楽しいわけではないようだ。というのが新発見というのでももちろんない。

 こどもがちょっとしたことができたとき「ほら見て、ほら見て」と大人に見てもらおうとするのである。やはり大人に見てもらってほめてもらいたいのだろう。で、大人がその瞬間を見逃したり、見ていなかったが言葉だけで「すごいね!」といってみたり、「さっき見ていなかったからもう一回やってみてよ」と言っても、もういいと二度とやろうとしないかやっても1度目ほどはうれしそうにはしないのだ。こどもは今・ここを生きているのだろうなあ。「みてみて」という子供の習性をみていて気が付いたのじゃが、そう誰かに似ているのである。誰とは言わない。そう、こんなにうまくいっているよということをだれかに見てもらいたいのだ。そして大事な人にほめてもらいたいのである。こどもは純粋にそれだけで幸せなのだが、おとなはうまくやってることを見せなければいけない、そしてほめてもらわなければ満足できない。ということで外景ばかりを整えてどうみてもらうかばかりを気にしているあいだに、ひょうたんのように中身がまったくなくなってしまったのじゃ。

 

今日明日をどうやって生き延びるか

国民年金で生き延びる方法

 この老人、ファイナンシャルプランナーでもあるゆえ、国民年金だけでも生きていく方法を伝授いたします、といいたいところではあるし、そうでなければそのように名乗っている意味もあるまいとは思うところではあるが、いかんせんそのような能力にまったく欠けているので、このさい思い切って小生の収支を明らかにし、そのうえでどなたかいい知恵があればお借りしたいという都合のいい魂胆なのである。

 まずは正確に申せば会社員生活が10数年間ありその間が少なくとも10社くらいは仕事を変えたので厚生年金の期間が少々あり国民年金の基礎部分と厚生年金の上乗せ部分が支給されておることになるが、この程度の期間の厚生年金は雀の涙の支給しかないということになるのは当然、自分で掛けてないのだから仕様がないということに世間ではなっておるのである。で、いくらかといえば2か月で152、962円、1か月では76、481円ということになる。ところがだ、小生の通帳では2020年の4月支給分から134,062円となっておる。差額の18、900円はそう介護保険なのである。1か月分の保険料は9、450円となり、年金から有無を言わせず引かれて入ってくるのである。またそれまで給料取りだけをやっていた人なら前年の所得を官憲につかまれておるのでまあ普通はもっともっと高いであろうが、小生は自営業者であるので8月くらいに確定されそれまでに足りなかった分があればごそっと(まあ2か月割で均した分)引かれて入ってくるということになるわけだ。従って年金受給の年頃になると自分の年金額が気になるゆえ調べるといくらいくらだということで、これだと退職金と今までの貯えとでなんとかやって行かれそうだと安心するのはちょっと早い。介護保険が思った以上に高いということをお忘れにならないように願いますぞ。そんなわけで小生の年金は今のところ一月に67、031円なんであります。神代の昔より我が国におわせましては野垂れ死にを最上の精神としておるわけですからして、生活費が足りないからと申しましても大体のところは誰かに頼るわけにはいかないようになっておるわけです。昔は「課長、ちょっと折り入ってご相談が」と相談しようとすると、課長が冗談なのか本気なのか「金ならないぞ」と前もって念を押されるのが常の社会でしたので。今はそれも死語になりましたか?、なにせ自己責任の世の中ですから。では支出はと申しますれば、食費だけ(といいますのも衣料品などは購入できませんしまた買う必要もないのです、だって最近の洋服は長持ちしますからこの年になれば何年も同じものを着ていても平気ですし)で、今月は経済観念の強いわが老妻の計算では5月25日の本日までに56、404円(カード払いでありますが)および1か月分の現金3万円を月の初日に渡しておるところでありますが、残り1000円だということなのであります。そこで、甲斐性のない連れ合いを持ってしまうと自分ばかりが苦労するという目をしながらこちらを睨むわけではありますが。一人だとこの時点で赤信号ということになりますわな。小生の場合は幸いにも老妻がおりますので、老妻の国民年金まだ今のところは見せてもらってはおりませんが、おそらく6万円前後でしょうから2人合わせて13万円あれば御の字といったところでしょうか?一家の収入13万円です。支出は以上の他にまだまだありますよ。平均しますと、電気代月1万円、水道代7千円、ガス代2000円、電話代等の通信費15000円、社会保険料国民健康保険)34、130円(8月から翌年の3月までですから1年で割ると22,753円となります)、他に税金が13000円、他に自動車税が年38、000円くらい(月だと3100円ほど、軽四と1500CCの普通車、地方ですから車がないと生活できないので仕方がないのです)、医療保険が2000円、がん保険が4800円くらいと、思いつくだけ上げてもざっとこれだけかかるわけです。ざっくりと79、653円になりますね。このうち社会保険と税金は前年度の所得から割り出されますので所得が多い人はもっと引かれ、少なければもう少し安くなるでしょうが。まあこれが経費を差し引いた年収で300万円弱の老人の収支の中身ですわ。見直しがきくものといえば保険料ですね。ファイナンシャルプランナーですから商売柄一応そう言っておきませんとね。ただ保険料を見直したくても20年ほど一度も使っておりませんからね。いまそろそろ病気で入院してもおかしくない時期に解約するのはなんとしてもお得感はないですから。あとは車ですかね。まあゆくゆくは1台になるでしょうけど。支出は最低ですよ。小生などはその他に何々会費というものが年間10なん万円かかったり、研修会の会費や旅費にもそれと同じくらいかかるわけです。それらを入れなくとも6万6000円くらいは必要経費として毎月落ちて行っているわけです。食費と必要経費を合わせると152、000円になっちゃいます。差し引き2万円の赤字ですわな。最低で見積もっても。

 小生も親愛なる国民の皆様と同様、なんとか70までは仕事をとは思っておるわけですが、いかんせん相手は(雇う方ですわ)そんなことお構いなし、こいつは65過ぎた年寄りだから、年金ももらいながら人一倍の収入を得ようなどとは不届きものだというわけでしょうが(小生の年金金額を知りもしないで、また知ったところで掛けてないのは自己責任だというわけでしょうが)、ばさっと切られるわけです。まあ思うようにいかないのが世の中の常ですわな。

 そんなわけで、働けるまで働いたあとは静かに向こうへ行きましょう。ということになっておるわけでわ。人生90年ましてや100年時代などとはしゃいでおられる方々はどのように生活を設計されておられるのでしょうか?

 

本日をもって退職いたします

テキトウ人間の責任の取り方

 この老人は人生の最終コースを目の前にしているわけであるが、最近は人生における責任の取り方ということを考えるわけである。哲学的に考えれば、この老人がこの世の中に存在していること自体が無責任この上ないことであるゆえに、責任を取るとなればこの世からわが身を抹殺するしかないか?三島由紀夫(われながら古い名前を持ち出して恐縮しておる次第なのでありますが、他に思い浮かばないのでお許しください)のようにバサッとひと思いにいってしまうというのも一つの手ではありましょうが、想像してみるだに痛そうではあり、どばっと大量の血が流れておるのを、そのような状態であってもまだしばらくは生きておるだろうから、その大量の血を見ながら意識がなくなっていくのを待っているなどどいうことがどうしてこの老人にできましようか。それは絶対に無理だ。高いところから飛び降りるのはどうだ。下を見ただけでも目がくらんで飛ぶまでに気絶してしまいそうだ。電車は止めただけでも多額な損害賠償を鉄道会社から請求されるらしいから赤貧生活を送っている老人には無理だ。薬を大量に飲むのはどうだ。理科系統にはまったく弱い軟弱な頭しか持ち合わせておらない老人にはどのような薬をどれだけ飲めばいいのかがさっぱりわからない。失敗すると苦しい思いだけでまたぞろ生き返ってくるかと思うとそれもちょっと。ではその方面では定番の首をくくるのはどうだ。ひと一倍、二倍不器用な老人にうまく体を支えるだけのロープがしばれるのか。何回もやり直していると面倒くさくなり、これも無理。この作戦はこの老人向きではない。諦めるしかないな。ということで生き恥をさらしながら生きているのであるわけだが。

 ところで人間というものは「この人がこんな行為をしてしまうのか?」あるいは「こんな仕事をしている人がこんなことする?」ということがじばしばおこるわけなのだが、どうしてなのかな。学校の先生が教え子のスカートの中を盗撮したり、警官が飲酒運転をする、弁護士が他人のお金をだまし取る、精神科医やカウンセラーがクライエントと肉体関係を結ぶ等々挙げ出したらきりがない。小生が数十年前に勤めていた銀行の支店長が飲みに行くと言って小生たちを引き連れ、車に乗せ近所の得意先で一杯ひっかけてから県庁所在地の市まで行く間に、一度飲酒で捕まりそのせいでやけになってしまって猛スピードで飛ばしていると、今度はスピード違反で捕まり、そのあげく酒臭いということで警察署まで連れていかれアルコール検査の結果その日二度目の飲酒運転とあいなったのでありました。本来ならば一度目の検挙の時点で部下の誰かが運転を代わらなければならないのだが、やけのやんぱちの本人は自分で運転するというし、小生たちも飲んでおるし、いやみな支店長がでそこまでいうのなら無理して代わらなくても、ということでその日都合三回交通違反で捕まったのでした。実態を知らない人からは「銀行の支店長とあろうものがそんな行為をして恥ずかしくないのですか?」などとおしかりを受けるところであろうが、実態を知り尽くしている(だって毎日いじわるをされ、仕事は夜中の一二時は当たり前、気にいらない人間は転勤させられるわけですから)小生たちにはちょっとしたお灸の気分ではあっても、このような行為をすること自体はなんら不思議ではないことなのでした。その伝でいきますれば、学校の先生が生徒のスカートを盗み見したり、更衣室をのぞき見したりするのはもちろん学校の先生という職業柄そのような行為に及ぶわけではありません。そのようなことがやりたいから学校の先生になったということでもないでしょう。この職業に就く前には教育ということに関しましては崇高な理想をお持ちになっておられたでしょう。小中学校では優等生でもあらせられたでしょう。学級委員だって一度や二度は。それがちょっとした出来心でつい。ことが検事長ともなれば学校の先生の比ではありません。世界中の人間社会を見回してもアメリカでも、中国でも、コートジボアールでも、その辺の洟垂れ小僧が将来検事になろうと志してその職に就ける人が何人いるでしょうか?ましてや検事長です。どんな頭をしているのか切り開いてみてみたい気になりますよね。小生の学生時代にも麻雀が好きで二年三年と留年した学生は山ほどいました。もちろん賭けマージャンです。そのようなバカ学生を横目に見ながら元検事長(すでに前とか元をつけなければ正確ではないのですから)殿は最難関の司法試験にまっしぐらの学生時代をお過ごしになられたことでしょう。それがどうでしょう、ご自分で私を検事総長にしていただけるならなんでもいたしますとお願いしたわけでもありますまい。ご自分に白羽の矢が当たったばかりにとんだ貧乏くじを引いてしまったのかもしれませんね。もしかしたらご自分は何々部長くらいで勇退した後弁護士に転身し、そこで賭けマージャンでもカジノでも心ゆくまで楽しむ老後の生活を夢見られておられたかもしれません。もちろん生活方面の心配は全くないですから、気楽なものですわ。それにしてもえらいさんは政治家っていうんですか?気楽なものですね。ごっこ遊びをしているようでなんだか楽しそうですよね、いつ見ても、だれを見ても。もちろんそれでもいいですが、なんせ国民の代表ですから。たしか清濁併せ持つ人間が政治家だなどといいましたっけ、汚いことが勲章ですもの。中には面の厚さを競ったりして。そんな人たちの下働きをして人生棒に振った人たちの顔が浮かんできますね。財務省の何とかさんとか、すべて破棄いたしました、などとね。吹けば飛ぶような行政書士をやっております小生ですら、二年前の書類はすべて捨てましたとやったらお客さんに総スカンを食らい、役所から、行政書士会から大目玉をくらうでしょう。こんなどうでもいい書類ですらですよ。もし小生なら、えらいさんとも何らかの秘密は共有しているわけですから(直接の秘密ではないにしろ)それを週刊文春にもって行けば大儲けはできなくても一年くらい食える程度はかせげそうだから、間違いなくそうしているところですがね。そうしない理由が分かりません。それが小生のようなどうしようもない人間の責任の取り方ですわ。だれか小生を抜擢してくれるえらいさんはいませんかね?