名もない人間の生い立ちの記

フーテン老人は目下、コロナ禍で自宅待機を余儀なくされているために、暇つぶしのために慣れないパソコンで思いついたことを書いていこうと一大決心をしたのである。

さて何から書き始めようかと思案するのでありますが、なにせ初めての経験なので自己紹介からでも始めていきましょうか。

 私は四国の中ほどにある山と川しかないのんびりとしたド田舎で生を受けました。ちょうど伊勢湾台風の時だったそうで、三軒長屋の一番端の家だったのでみすぼらしい薄い土壁が雨と風のせいで崩れ落ちてしまったことを母と祖母がよく話していました。高度経済成長などどのような人がその恩恵を被っていたのだろうと今の今まで思っていたのですが、なんとそれがいつ始まったのかといえば1954年とあるではありませんか。まさに私なんかはその申し子だといえるわけです。実感は全くありませんが。どちらにせよ四国の森の中(などと書けば大江健三郎さん流でなんだかかっこいいのですが、わが町には森はなく自宅から北に1.5キロくらいで大川へ、大川に出るまでには鉄道の線路があり線路の北側から大川までは田んぼと畑しかない。目の前は小学校に通じる坂道、坂の途中は水の淀んだ蓮池、その並びに墓場があり、道路を挟んで、その上に木造小学校が建っている崖がある。その小学校の背後にはもう山が迫っているという、猫の額のような土地で今日明日どうやって食べていこうかで頭がいっぱいな人達が生活している路地の多い町でした)。鉄道から北側にどうして家がないかといえば2~3年に1度は大川が氾濫してそのあたり一帯は水につかってしまうから家は建てられなかったのです。そんな狭い土地ですから人々は山の上にまで家を建てて住んでいましたので「都会の人が来たら、ここの星は近いですね、といわれて何のことかわからんかったけんど、山の家の明かりのことを言うとんでよ。都会にはやまはないんか?」と自嘲気味の笑い話を耳ににすることもありました。

 さてそこでの暮らし向きはどうあったのか。わたしの家はいわゆる食品以外を扱う聞こえよく言えば、何でも屋だった。どうして食品以外なのかといえばもちろん冷蔵庫などというものはないので食品は腐ってしまうからが表向きの理由だが、仕入れのお金がないのでほとんど店に置いておくものがなかったからというのが本当の理由だろう。ではどうやって商売していたかというと、問屋などというものはなかったので、親父はある程度商品を持っている店に頼み込んで、朝商品を自転車に積んで山に入り込み山の雑貨屋のようなところに現金でおろし、夜そのお金で清算し、翌日の生活費にしていたというその日暮らしの時期が数年続いたようである。母親と祖母は生まれがもともと農家なのであちらこちらで小さな畑や田んぼを借りて作り、ほとんどお金を使わない生活をしていたようだ。

 親父は今でいう母子家庭に育った。父親が亡くなったとかそういった殊勝なものではなく親父が幼年期に父親が女を作って出ていったので母と子の二人の生活を余儀なくされたのだ。大酒のみだった親父が父親への恨みつらみ、父がいないことの結果としての貧乏暮らしを飲むたびに繰り返したのでその話は宙で覚えているくらいだった。ただそんな状態だったからわたしの家が特別貧しかったかというとそうではなかったように記憶している。小学校の地区割りでは我々の地区は駅の西に位置するのでいわゆる駅前商店街の一角にあったのだが、そこを東に向かって歩くと800メートルくらいで町はずれになるのだが、その道の両側がほとんど3~5軒長屋で暮らし向きも大して違わなさそうな洟垂れ小僧ばかりが地区ごとに数人集まり似たような遊びで悠久の時間をつぶしているのだった。60年前当時の遊びといえばかくれんぼ(隠れるのに都合の良い小屋がどこにでもあった)、缶蹴り、釘立て、ビー玉(ラムネと言っていたが)、鬼ごっこ、コマ廻し、チャンバラや戦争ごっこなどか。また主に他地区の子供とは石合戦といって本気で石を投げあう遊びがあったが、小学校高学年の子供が投げてくる石は鼻先で「びゅっ」とうなりをあげて飛んでくるので怖かったはずなのだと思うが、今は楽しかった経験しかない。

 石合戦が始まるきっかけはこうだ。例えば我々のグループが他の地区の空き地を通掛かったとする。空き地があれば大抵そのあたりのガキが遊んでいる。そこで難癖をつけられる。その辺りはそいつらの縄張りなのだ。だから尋常には通してもらえない。我々の行く道をふさぐのだ。そこで引き返すと小学生なら学校で小さくなっていなければならない。あいつらは弱虫だと学校で騒ぎ立てられるからだ。そうなるのは死ぬことよりもつらいことなのでお互いの大将が出てどうなれば勝ちというようルールをその場で話し合ったうえで合戦が始まるのが常だった。どうなれば勝ちだったかはよく覚えていない。冬はコマ廻しで、その他の時期はビー玉が多かったように思う。夏はもちろんプールなどはないので川で泳いだ。